
風が吹いている。
秋の風だ。
ゆるやかなその風が、微かに前髪を揺らしている。
音無小鳥は、屋上で独り、夕焼けに色づいた街並みを眺めていた。
日が翳ってきたせいだろうか、少し肌寒い。
ふと、背中越しに、足音が近づいてきた。
小鳥は振り返らなかった。
それが星井美希だということは、もう気がついていた。無視を決めこんだのは、ちょっとした先制パンチのつもりだった。
二人が仲違いしたのは、今日の昼休みのことだ。
はじめは、他愛もない会話だった。
その話題を出したのは、美希だった。彼女は自分がプロデューサーに恋しているのだということを、目を輝かせながら語った。
小鳥はそれでも、我慢して聞き役を演じていた。
しかし、ふいに、たまらない苛立ちが湧き上がってきた。
恋愛ゴッコにうつつを抜かす前に、自分の立場を考えなさい――そんなことを言った。
それに美希が反発した。
他に誰もいなければ、そのまま口論になっていたかもしれない。
けれど、今頃になって美希は、何をしにここへ来たのだろうか。
もし、昼休みの続きをしに来たのなら、望むところだ。
彼女を傷つけるための言葉が、次々と心の中に浮かんできた。女はこういう時、ひどく残酷になれるものだと、小鳥は思った。
さあ来い。迎撃する準備はできている。
けれど、美希が口にしたのは、小鳥が想定していたどの言葉とも違っていた。
「その……、今日は、ごめんなさい」
不意を突かれたその一撃で、堅牢な石垣のように積み上げていた心のバリケードが、あっさりと崩れ去ってゆくのを、小鳥は感じた。
「でも、ホントに、これだけは言いたいの。ミキはプロデューサーが好き。遊びなんかじゃなくて、この気持ちだけは、ゼッタイだって」
はじかれたように、小鳥は振り向いた。
そこには、真剣な眼差しでこちらを見つめる、美希の顔があった。
鮮やかな夕焼けを背負った彼女の金色の髪が、本当に黄金色に輝いているように見えた。あるいはそれは、彼女の内面から放たれている輝きなのかもしれなかった。
ふと、完敗だ、と小鳥は思った。
「ううん、いいのよ。それより、私の方こそごめんなさいね」
小鳥は笑った。優しく微笑んだつもりが、少し寂しげな顔になった。
「プロデューサーさんと、うまくいくといいわね。大変なこともあるだろうけど、美希ちゃんならきっと大丈夫よ」
それは、本心からの言葉だった。
彼女ならきっと、うまくいく。
改めて口にするまでもなく、ずっと前から分かりきっていたことのような気がした。だって彼女は、あのまっすぐな瞳と、黄金の輝きを持っているのだから。
なあんだ、と小鳥は心の中で呟いた。
はじめっから、勝ち目なんか、なかったんだ。
遠くに見える山の端に、夕陽がゆっくりと沈んでゆくのを見つめながら、小鳥はそっと目元を拭った。
夕闇が迫ってくる。
東の空には、もう星がきらめいていた。
了