
「違うにゃ! もっとこう、甘くてとろけるような感じなのにゃ!」
「はぁ? 何言ってんの、ガツンと衝撃があるに決まってんじゃん!」
ばんっ、と机に手を置きながら、前川みくが言いました。
張り合うように、多田李衣菜も声を荒らげます。
「うー……」
「にゃー……」
ふたりはテーブルを挟んで、唸り声をあげながらにらみ合いました。
互いの視線がぶつかりあい、ばちばちと見えない火花を散らします。
「……ふんっ!」
そうして、ふたりは同じタイミングで顔をそっぽに向けました。
ここは、346プロダクションの女子寮の、前川さんのお部屋です。
せっかく李衣菜ちゃんがお泊りにきたというのに、今日もふたりはなにやらケンカをはじめちゃったみたい。
でも、いったいふたりは何をそんなに言いあらそっているのでしょう?
「李衣菜ちゃんは全然分かってないにゃ!」
「分かってないのはみくの方だよ!」
テーブルの上には、書きかけの歌詞カード。
どうやらふたりは、次の曲の作詞についてもめているようです。
それもそのはず。
プロデューサーからもらった資料には、こう書かれていました。
『新曲のテーマは――キス』
ああでもない、こうでもないと言いながら、時間ばかりが刻々と過ぎてゆきます。
締め切りは、明日。
焦る気持ちとは裏腹に、歌詞のイメージはいっこうにまとまりません。
「そもそもさー、みくは誰かとキスしたことあんの?」
「うにゃっ!?」
李衣菜がふと訊ねると、前川みくは、ぎくり、と図星を突かれたように固まって、瞳を針のように細く尖らせました。
ははーん、とそれを見て、李衣菜は意地悪な笑みを浮かべます。
「なーんだ、経験ないんじゃん。じゃあ、説得力ないよね」
「そっ、それは……その」
言葉に詰まったみくに、李衣菜はふふん、と勝ち誇ります。
けれど、みくも負けてばかりではありません。
「で、でもっ……、じゃあ李衣菜ちゃんは誰かとキスしたことあるっていうの?」
「……う」
今度は、李衣菜が返事に詰まる番でした。
「…………」
「…………」
そのままふたりは、しばらく無言で見つめあいました。
そして、どちらからともなく、ふふっと笑いあいました。
「あーあ。結局、どっちも経験ないってことじゃん」
「まったくにゃ。心配して損したにゃ」
えっ、と李衣菜が顔をあげて、みくを見つめました。
みくは、しまった、という風に、あわてて口元を手でおおいました。
「ち、違うにゃっ! 心配っていうのは、そういう意味じゃなくて……」
両手をばたばたさせて必死に言い繕おうとするみくですが、じっとこちらを見つめる李衣菜の、ひどく真剣な眼差しに、すぐに押し黙ってしまいました。
ふたりのほっぺたが、熟れたりんごのように、真っ赤に染まっています。
「…………」
「…………」
そうして、またふたりは、無言で見つめあいました。
どれくらいの間そうしていたのか、やがてぽつりと、李衣菜が口を開きました。
「……じゃあさ、キス、してみる?」
「な、なに言ってるにゃっ!?」
耳まで赤くなりながら、ぶんぶんと首を振るみく。
対する李衣菜も、同じくらい真っ赤になりながら、あわてて言葉を続けます。
「か、勘違いしないでよっ! あくまでも作詞のために、そういう経験も必要なんじゃないかっていうことであって、別にそういうあれじゃないから」
「う……そ、そういうことなら、しょうがないにゃ」
納得したのか、みくも覚悟を決めたようでした。
ふたりの距離がゆっくりと近づいて、そして、
「ちょっと、目閉じててよ」
「そ、そっちこそ先に閉じるにゃ」
「……吐息がかかってくすぐったい」
「じゃあ息止めてするから、それならいいでしょ」
「もうちょっと顔あげててくれないと、姿勢的につらいんだけど」
「う……わかったにゃ。こ、こんな感じ?」
そんなやりとりを何度か繰り返し、ようやく、
「……んっ」
ふたりの唇が、ひとつに重なりました。
ふたりの、はじめてのキス。
唇が触れていたのは一瞬のことでしたが、それはふたりにとって、永遠にも等しい一瞬でした。
唇が離れてからも、ふたりはしばらく、放心したようにぼんやりと見つめあっていました。
「あ……っと、その、どう?」
「いや、うん、想像してたのと全然違った、ていうか」
「……うん、私も」
それ以上はなんだか気恥ずかしくて、ふたりはそこで口をつぐんでしまいました。
「と、ともかくっ! これでようやく、しっくりくる歌詞が書けるにゃ!」
「そ、そうだね、よしっ!」
と、ふたりはまた歌詞カードに向かい、そして――
「全っ然違うって! すごい柔らかくてふんわりしてたじゃん!」
「はぁ!? 何言ってるにゃ、みくは電流が流れたかと思うくらいビリッときたにゃ!」
ばんっ、と叩かれるテーブル。ばちばちと火花散る視線のぶつかり合いに、部屋の空気がぴんと張り詰めていきます。
「うー……」
「にゃー……」
威嚇しあう猫のようなうなり声をあげて、ふたりは額がぶつかりそうなくらい顔を近づけてお互いをにらみつけました。
「……分かったにゃ。そこまで言うなら、もう一度キスして確かめるにゃ!」
「ああ、いいとも! 何回だってしてやろうじゃん!」
「言ったにゃあ! その言葉、後悔させてやるにゃ!」
ふたりの、二回目のキスは、そんな勢いで。
結局、歌詞ができあがるまでには、回数がわからなくなるくらいキスしまくったとか。
END