リリカルマヂカルキルゼムオール

「はぁ……」
 ソファに深々と背中を沈めたまま、エレメス=ガイルは小さく溜め息をついた。
 六畳ほどの広さの部屋であった。
 中央に、木製のテーブルがひとつ。
 高さは、エレメスの膝ほどである。
 テーブルを挟む形で、ソファがふたつ、向かい合わせに置かれている。
 一人掛けのソファではない。数人が並んで座れる、大きなものである。
 エレメスが座っているのは、ドアと反対側のソファであった。
 隣には、カトリーヌ=ケイロンが座っている。
 並んで座っているとはいえ、エレメスは深く背もたれに体を預けているのに対し、カトリーヌは、浅くちょこんと腰掛けているだけである。
 そのため、エレメスから見えるのは、カトリーヌの背中だけであった。
 テーブルの上に、洒落た感じの薄い紙箱が置いてあった。
 箱の蓋が開いており、中には、一口サイズのチョコレート菓子が、綺麗に並んで入っている。
 先ほどから、カトリーヌは、テーブルに身を乗り出すようにして、そのチョコを次々と頬張っているところであった。
 エレメスからは、カトリーヌの背中に隠れて見えないが、もう既に、かなりの量を食べてしまっているはずである。
「――なあ、カトリ」
 痺れを切らしたように、エレメスが口を開いた。
「……何?」
 カトリーヌは、チョコを手にしたまま振り返った。
 口の中にも、チョコが入っているらしい。頬のあたりが、ぷくっと膨らんでいる。
「あのさ、さっきも言ったけどよ、そいつは俺のじゃないんだ。だから、あんまり食べ過ぎると、その、あれだ、マズいことになっちまうんだよ」
「…………」
 エレメスの話を聞いているのかいないのか、カトリーヌは手にしていたチョコをぱくんと口に放り込んだ。
 いつもと変わらぬ無表情のまま、もきゅもきゅとチョコを頬張る。
「あーもう、あんまり食わないでくれって言ってるのに……とにかく、せめて半分くらいは残しといてくれよ。頼むからさ」
 ごくん、と口の中のチョコを飲み込んで、カトリーヌは、ふるふると首を振った。
「………遅かった」
「遅かった?」
 エレメスが訊き返すと、カトリーヌはチョコの箱を持ち上げ、エレメスの方に向けた。
 さっきまでぎっしりとチョコが詰まっていた箱は、見事に空っぽになっていた。
「ぬぁ、もう全部食っちまったのか!?」
 カトリーヌは、こくん、と頷いた。
「ああ、どうやって言い分けしたもんかなぁ……」
 エレメスは、がっくりと肩を落とした。
 ぽんぽん、とカトリーヌがその肩を叩く。どうやら、励ましてくれているつもりらしい。
「……元気出して」
「いや、励まされても……ていうか、元々の原因はお前じゃねえか」
「……ごめん」
「あー、いいよもう。それよりも、どうやって誤魔化すかを考えねえとな」
 その時、ドアの向こうから、足音が近づいてきた。
 エレメスは顔をあげた。
 視線をドアの方に向ける。
「やべえ、もう来やがったのか!?」
 エレメスは慌てて空箱をひっ掴むと、ソファのクッションの隙間に押し込んだ。
 ドアノブが音を立てて回され、勢いよくドアが開いた。
 ドアの向こうから姿を現したのは、セシル=ディモンであった。
「ただいまー」
「おう、お帰り」
 エレメスはそう言って、軽く右手を上げた。
「あ、カトリも来てたんだ」
 カトリーヌは無言のまま、こくん、と頷いた。
「はー、疲れたぁ……」
 セシルは二人の向かいに置かれたソファに深々と体を沈め、大きく息を吐き出した。
「お疲れさん。今日はどうだった?」
 エレメスが訊ねると、セシルは気だるそうにひらひらと片手を振った。
「どうもこうもないわよ。やたら侵入者が多くってさ。矢が足りなくなるかと思ったくらい」
「はは、そりゃ大変だったな」
「笑い事じゃないわよ、もう……あれ?」
 ふいに、セシルが何かに気付いたように眉をひそめた。
「ど、どうした?」
「出かける前、ここにあたしのチョコを置いといたと思うんだけど」
「えーと、そうだったっけ? よく覚えてないな」
 内心の動揺を押し隠しながら、エレメスはとぼけた。
「勝手に食べないようにって、きっちり念を押しといたはずよね、エレメス?」
 セシルの目つきが鋭くなった。
「待てよ、俺が食ったっていうのか?」
「じゃあチョコがあったことは認めるのね」
 しまった、とエレメスは唇を噛んだ。カマをかけられたのだ。
 こうなったら、もう誤魔化すのは不可能であった。こういう時のセシルは妙に勘が鋭い。空箱に気付くのも時間の問題だろう。
「……すまん、実は、カトリが全部食っちまったんだ」
 エレメスは、正直にありのままを話すことにした。
 これ以上無駄な抵抗を続けるよりも、被害を最小限に抑える方が賢明だと判断したのである。
「え……、カトリが?」
 セシルはカトリーヌの方に視線を向けた。
「ああ、いや、もちろん俺は止めたぜ? でもさ、分るだろ? 食いモンに関しちゃ、カトリを止められる奴なんざ誰もいないって。こう、物欲しそうな顔でじーっと見つめられてさ、ついつい、ちょっとくらいならって……」
 大げさに身振り手振りを交えながら、エレメスは矢継ぎ早に言い訳を並べ立てた。
「――――」
 だが、セシルは、エレメスの言葉をまるで聞いていないようであった。
 妙に険しい顔つきをしてはいるが、怒っているという風ではない。
 ただ、じっとカトリーヌの顔を見つめている。
「エレメス」
「な、何だ?」
 エレメスは、びくんと体を強張らせた。矢を射ち込まれるかと思ったのである。
 しかし、セシルはただ、すっと手を差し出しただけであった。
「チョコの箱、どっかに隠してあるんでしょ。見せて」
「箱? ああ、いいけどよ」
 エレメスは立ち上がり、隠してあった空箱を取り出した。
「ほらよ」
 セシルは渡された箱を隅々まで眺め、
「……やっぱり」
 と呟いた。
「何がやっぱりなんだ?」
「もういいわ。どうしたって、もう無いものは戻ってこないし、カトリの食欲が制御不能なのは、あたしもよく知ってるから」
 エレメスの問いには答えようとせず、セシルは言った。
「でも、それが食欲のうちは、まだマシな方よ」
「――はぁ?」
 きょとんとするエレメスを尻目に、セシルは立ち上がった。
「じゃ、あたしはもうひと暴れしてくるから」」
「お、おう。頑張れよ」
「ありがと。エレメスも頑張ってね」
 そう言い残し、セシルは部屋を出ていった。


「……なんか知らんが、どうやら許してもらえたみたいだな」
 セシルの足音が遠ざかるのを確認し、エレメスはほっと胸を撫で下ろした。
 ソファに座り込み、はぁ、と大きく息を吐き出す。
「まったく、心臓に悪いぜ。なんとか無事だったから良かったけどよ、カトリ、そもそもお前が――」
 言いながらカトリーヌの方に目を向け、エレメスは絶句した。
 カトリーヌは、スカートの裾をめくり上げ、下着を膝のあたりまで脱ぎ下ろし、自らの秘所をまさぐっていたのである。
 遠目にも、そこはたっぷりと潤んでいるのが分った。細い指先で押し広げられた柔らかそうなピンク色の肉襞が、室内の明りに濡れ光っている。
「ちょ、な、何してるんだ!?」
 思わずじっと見入りそうになり、慌ててエレメスは顔をそらした。
「……んっ、あ」
 カトリーヌの唇から、甘い吐息が洩れた。
 切なげに潤んだ瞳がエレメスを見上げた。頬は薄く紅色に染まっている。
「……欲しい」
「ほ、欲しいって、チョコはもう全部食っちまっただろ? 他に何が欲しいっていうんだ?」
 カトリーヌは答えず、エレメスに体を預けてきた。
「うわっ!?」
 エレメスはバランスを崩し、二人は重なり合うようにしてソファに倒れこんだ。ふわり、といい匂いがエレメスの鼻をくすぐった。
「……欲しいの。エレメスの、これ」
 カトリーヌの手がエレメスの股間に伸び、ズボンの上から膨らみを撫でた。
 その中にあるものが愛しくてたまらないといった風に、何度も往復した。
 エレメスはたまらず体を震わせ、小さく呻き声を洩らした。
「……ね、お願い」
 カトリーヌは熱に浮かされたような顔で、布越しに頬擦りした。
「ど、どうしたんだ、突然こんな――」
 エレメスの視界の端に、さっきカトリーヌが食べていたチョコレートの空き箱が見えた。
 さっき倒れこんだ時に引っ掛けたのだろう。箱は、裏返しになっている。
 エレメスの目は、その裏面に書いてある『ウィスキーボンボン』という表示に吸いつけられた。
「おい、まさかお前、酔ってるのか!?」
 ひどい下戸だとは聞いていたが、まさか、ウィスキーボンボンごときで酔っ払うとは。
 それにしても、このカトリの様子はどういうことなのか。
 酔っているにしても、異常すぎる。発情した犬猫並みだ。
 そういえば――
 と、エレメスは思った。
 みんなで宴会をする時でも、カトリーヌだけは、一切アルコール類に手をつけたことがなかった。
 今までは、単に、飲むよりも食う方が好きだからなのだろうと思っていた。
 しかし、よく思い出してみると、そういう時は決まってセシルやマーガレッタたちが、カトリがアルコールを口にしないよう、さりげなく誘導していたような気がする。
 エレメスの脳裏に、先ほどのセシルの言葉が蘇る。
 ――それが食欲のうちは、まだマシな方なのよ。
 まさか。
 酔っ払ったことで、カトリの超人的な食欲が、別のもの――つまり、性欲に置き換わっちまったっていうのか!?
「……はむ、んっ……ふ」
「うあ!?」
 びくん、とエレメスの腰が浮き上がった。
 ズボンのジッパーが下ろされ、そこから飛び出たものを、カトリーヌが深々と唇に含んでいた。
 そのまま、しゃぶりはじめた。
「……んっく、ちゅぷ、くちゅっ……」
 薄桃色の唇から、唾液に濡れた男根が出入りし、柔らかな舌先が絡みつくように裏筋を舐め上げていく。
「つ……ぅ、あっ……」
 エレメスは必死に湧き上がる欲望を抑えようとしたが、体の方は正直だった。間断なく送り込まれる快感に、たちまちエレメスのものは硬くそそり立っていく。
 口いっぱいに膨らんだそれを頬張りながら、カトリーヌはうっとりするように目を細めた。動きがさらに激しくなり、亀頭が唾液を掻き混ぜる淫猥な音が響く。
 カトリーヌの口淫は、技巧的なものではなかった。ただひたすらに、男のものを咥え舐めたいという、その思いをそのまま行動に移したようであった。だがそれだけに、一心不乱にペニスを頬張るカトリーヌの姿には、たまらない淫猥さが満ち溢れていた。
「……んっ、は……ぁ」
 怒張を含んだ唇の隙間から、喘ぎ声が洩れた。エレメスの陽根にむしゃぶりつきながら、カトリーヌは自らの秘部に指を突き入れ、クチュクチュと小刻みにかき回していた。
「……あ、んぅ、はぁあっ……ん」
 カトリーヌはエレメスの陰毛に顔を埋めたまま、上目遣いにエレメスを見上げた。煽情的な眺めに、思わずエレメスはごくりと唾を飲み込んだ。
「……ぷはぁ」
 カトリーヌの唇から、エレメスの怒張が解放された。舌先から亀頭へ、透明な唾液がつぅっと糸を引いて落ちる。
 カトリーヌは体を起こし、脚を広げてエレメスの腰を跨いだ。唾液に濡れた先端を、自らの中心に押し当てる。
 ――ああもう、こうなったらどうにでもなれだ。
 半ば捨て鉢になったように、エレメスは覚悟を決めた。エレメスにしても、ここまで刺激されてしまっては、一発抜かないことにはもう収まりがつかない状態になっていた。
「……ふぁぁっ、あ……ん!」
「くっ!」
 カトリーヌが腰を落とした。ずにゅうっ、と分身が呑み込まれる感覚に、思わずエレメスも歯を食いしばる。
「……ひぁっ、あは……ぁ」
 ぴったりと腰を押し付け、カトリーヌはふるふると肩を震わせた。疼く肉穴を満たした悦びに、サキュバスさながらの笑みを浮かべる。
 すぐに腰を動かしはじめた。
「……あっ、ん……はぁっ!」
 ぬちゅ、くちゅっと淫らな水音を立てて、エレメスのものがカトリーヌの中を擦り上げる。普段の大人しい姿からは想像もできないような、激しい腰使いであった。
 それでもまだ足りないのか、カトリーヌは胸元をはだけ、両手で持ち上げるようにして、自らの乳房を揉みはじめた。指先を柔らかな肉の膨らみに食い込ませ、ぐにぐにとこね回すように揉みしだく。
「……はぁん、んぁ、あぁっ……!」
 カトリーヌの動きに合わせ、エレメスも下から腰を突き上げた。カトリーヌの唇から溢れる嬌声が半オクターブほど高まり、膣肉がヒクヒクと震える。
「……あふ、あ、くぅんっ……!」
 既にカトリーヌの理性は消え失せ、快楽を貪り求める本能のみが体を突き動かしていた。エレメスを咥え込んだ腰の動きは、もはや狂ったようになっていた。
「つぅっ、カトリ、もうっ……!」
 せり上がる射精感に耐え切れず、エレメスはびくんと全身を震わせた。根元まで咥え込まれた先端から、勢いよく白濁がほとばしった。
 体の芯から根こそぎ引きずり出されるような、強烈な射精であった。
「……んぅ、あ……ふぁああああっ……!」
 同時に、カトリーヌが大きく体を仰け反らせた。無数の柔襞が、エレメスからありったけの精液を搾り取ろうとするかのようにヒクつき、体中がびくびくと激しく痙攣する。
「……あ、あ、あぁあ……は」
 全身を駆け巡る肉の悦びに、カトリーヌは夢見るように目を細めた。
 口元はだらしなく半開きになり、熱い吐息と共に溢れた唾液が、ぽたぽたとエレメスの胸元にこぼれ落ちていく。
「はぁ……」
 射精の余韻が去ると、どっと倦怠感が押し寄せてきた。エレメスはぐったりと脱力し、大きく息を吐いた。
「……まだ」
「――はい?」
 エレメスは思わず目を見開いた。同時に、くすぐったさにも似た甘い痺れが、ぞくんと全身を駆け抜けた。カトリーヌが、再び腰を動かしはじめていたのである。
「……んっ、あ……は」
「ちょ、待て、今イッたばっかり――」
 しかしその声は、カトリーヌには届いていなかった。カトリーヌは恍惚とした顔で、再び悦楽を貪る行為に没頭していった。


 セシルが帰ってきたのは、それから数時間後のことだった。
「ただいま。エレメス、生きてる?」
 返事はなかった。
 エレメスは、干物のようにげっそりとやせ細り、床の上に転がっていた。
 そのまま、ぴくりとも動かない。
「ちょっと、あんた、生きてる?」
 セシルがちょん、と頬を突っつくと、エレメスは弾かれたように跳ね起きた。
「ひいいいいっ、も、もう出ないって! 勘弁してくれ!」
 エレメスは怯える小動物のように縮こまり、額を床に擦りつけて土下座した。
「なに錯乱してるのよ。あたしよ、あたし」
「――あ、セシルか。そ、そうだ、カトリは!?」
 ほっと安堵したのも束の間、エレメスは怯えるようにきょろきょろと辺りを見回した。
「大丈夫、カトリならそこのソファで寝てるわよ」
「そ、そうか」
 すやすやと穏やかな寝息を立てるカトリーヌの姿を確認し、ようやくエレメスは落ち着きを取り戻した。
「どう? これで少しは懲りたでしょ」
「懲りたも何も、てめえ最初から知ってやがったな? 危うく本気でミイラになるとこだったじゃねえか」
「自業自得じゃない。あんたがきちんとチョコをガードしてれば、こんなことにはならなかったのよ」
「――う。そ、そりゃそうだけどよ」
 その時、ソファで横になっていたカトリーヌが、むっくりと起き上がった。
「うおっ!?」
 エレメスは、反射的にセシルの背後に隠れた。
「…………」
 カトリーヌは、ぼーっとした顔でふたりを見つめた。
「おはよう、カトリ」
 セシルにそう言われて、ようやくカトリーヌは自分が今まで眠っていたことに気付いたようであった。
「……夢、見てた」
「へえ、どんな?」
「……バナナを、いっぱい食べる夢」
「そう。よかったわね」
 二人の会話を聞いていたエレメスが、こつんと肘でセシルを小突いた。
「おい、こりゃどういうことだ?」
「見てのとおり。覚えてないのよ、あの子。自分が酔って何をしたか」
「――――」
「正確には、別の記憶にすり替わってるというべきかしら。元々、食欲が性欲に変化してたわけだから、そっちが元に戻る時に、記憶の方も食べ物のことに変化しちゃうのよ。ま、その記憶自体、あの子は夢だと思ってるみたいだけど」
 エレメスは、分ったような分らないような顔をしていたが、とりあえず頷いた。
 その時、カトリーヌのお腹が、ぐう、と大きな音を立てた。
「……おなかすいた」
 もう完全に、いつものカトリーヌに戻ったようであった。
「だってさ、エレメス。何か作ってあげてよ」
「お、おう、わかった」
「ついでに、あたしの分もよろしくね」
 立ち上がったエレメスに、セシルが言った。
「はぁ? 何でお前のまで……」
「ふふーん、エレメスがここで何してたか、みんなに言いふらしちゃおうかなぁ」
「――う」
「ひどいよねぇ、酔わせて襲うなんてさ。もう人として最低だと思わない?」
「待て、襲われたのは俺の方だっての!」
「そんなこと言っても、誰も信じないでしょうね。あーあ、兄がこんな鬼畜野郎だと知ったら、トリスちゃん悲しむだろうなぁ」
「ええい、わかった! 待ってろよ、驚くくらいの超豪華晩餐を用意してやるからな!」
「はいはい、期待してるからねー」
 セシルは笑いながら、ひらひらと手を振った。カトリーヌは相変わらずぼんやりしながら、ぐーぐー鳴るお腹を抱えている。
「はぁ……」
 一人溜め息をつきながら、エレメスはキッチンに向かう廊下を歩いていった。


おわり。