Candy Sweet Pop Lovers 全年齢版

 張り替えたばかりの弦を、指先で軽く弾く。
 びぃん、という小気味良い音がした。
 うん、悪くない。
 いつもながら、ハワードの確かな目利きには感心させられる。まったく、どういうルートでこれだけの良品を仕入れてくるのだろう。
「セシルちゃん、どうですの?」
 と、傍らのマーガレッタ=ソリンが訊いてきた。
 マーガレッタは、興味津々といった様子で、あたしの手元を覗き込んでいる。
「オッケー。ばっちりだよ」
 あたしは満足げに頷いて、すぐにそれを打ち消すように、小さく首を振った。
 はあ、と溜息が洩れる。
 その様子を見て、マーガレッタはきょとんと首を傾げた。
「どうしましたの? 弓の修理は上手くいったのでは?」
「ああ、いや。そっちの方は全然いいんだけどさ」
「じゃあ、それ以外に何か?」
「いや、なんかこう、武器の手入れに充実感感じちゃってるあたしって、どうなんだろうって思ってさ」
「いいじゃありませんか。真剣な表情で弓に向かうセシルちゃんもステキでしたわ」
 マーガレッタが、真顔であたしの目を見ながら言う。
 思わず、あたしは仰け反るようにして、マガレから体を離した。
 あたしの反応に、マーガレッタが再び頭の上に疑問符を乗っけて、はて、と首を傾げる。
「セシルちゃん、どうかしましたか?」
「ああ、いや。何でもないよ」
 そう言って、あたしはほっと胸を撫で下ろした。
 どうやら、今のステキ発言は、下心の混じらない、純粋に友人としての評価を述べたものだったらしい。
 マーガレッタが女性を褒める時というのは、要注意だ。
 そういった場合、大抵は、その裏に秘めた下心があるからだ。
 いや、秘めるどころか、むしろ全開で口説きにかかってる、といった方がいいかもしれない。
 そう。
 こいつは、女でありながら、女の子が大好きという、そういう奴なのである。
 まったく、表向きは淑やかなプリーストだってのに。
 我が友人ながら、とんでもない奴だと思う。
 かくいうあたしも、こいつには何度か――いや、それはいい。
「でもさ、たまーに考えない? もし違う道を選んでたら、今頃どうなってたのかなって――」
「違う道、ですか?」
「うん」
 こんな血塗られた道じゃなくてね、とは言わなかった。
 そんなこと、わざわざ口に出して言わなくたって、マーガレッタも分かっている。
 あたしは、視線を床に落とした。
「ホントに、マジでたまになんだけどさ。スナイパーじゃないあたしってどんな風になってたんだろうって、そんなことを考えちゃうんだよね」
 呟いた。
 呟きながら、マーガレッタにというよりも、床に向かって語りかけているみたいだと、そんなことを思った。
 ううん。
 違うな。
 あたしはきっと、自分に向かって語りかけているんだ。
 マーガレッタは、相変わらず真顔で、じっとあたしの顔を見つめている。
「ひらひらの服着てさ。お化粧なんかしちゃったりして。プロンテラの街を歩きながら、露店を見て回って――」
 言いながら、ふっと頭の片隅で、やばいなあ、と思う。
 どんどんと自分の心がささくれ立っていくのを、あたしは感じていた。
 自分の言葉で、自分自身を傷つけている。
 でも、止められない。
 止められなかった。
 あたしの中で、何かのスイッチが入ってしまったようだった。
 こんな話題、もうやめたほうがいい。
 それは分かっているのに、心のどこかで、もっと深く傷つくことを求めている自分がいる。
 まるで、母親がそっと優しく手を差し伸べてくれるのを、できるだけ惨めに泣き叫びながら待っている子供のようだと、あたしは思った。
「いつか、いい人と恋に落ちて、結婚して。エプロンつけて若妻しちゃってさ。そうして子供ができて。きっとマジ可愛いだろうなーって思う。あはは、バカみたいだよね、こんなガキみたいなこと言っちゃって」
「――――」
 マガレは何も言わず、ただあたしを真剣な眼差しで見つめている。
 こいつは、いつだってそうだ。
 あたしのどんな一言も、全て洩らさすに、きちんと聞いていてくれる。
 ということは、やっぱり、あたしはマーガレッタに聞いて欲しくて、こんなことを言ってるのかもしれない。
「でもさ、どんだけ想像しても、想像できないんだよね。そんな自分がさ」
「想像しても、想像できない?」
「何つったらいいのかな。色んな想像しても、そこの中心に自分がいないの。そこだけぽっかり空いてるっていうか」
「――――」
「あたしの『イフ』じゃなく、誰かの『イフ』になっちゃうんだよね。なんかもう、女の子してる自分ってのが、自分とは完全に違う存在としてしか想定できなくて」
 無理もないけどね、といってあたしは苦笑した。でも、上手く笑顔が作れたかどうかは、自信がなかった。
 思えば、女の子らしさとは無縁の生き方をしてきた。
 今だって、可愛くない奴だと人からよく言われるし、自分でもそのとおりだと思う。
 でも、それに不満があるわけでもない。
 だって、そんなもの、あたしにとって何の価値もないから。
 あたしが生きていくために必要だったもの――
 それは、強さだった。
 初めて弓を持ったのは、いつだっただろう。
 幼かったあたしがどうして弓を選んだのか、あたし自身もわからない。ただなんとなく、自分に合っていそうな気がしたという、その程度のことなんだと思う。
 でも、その時のあたしの直感は、あたっていた。
 あたしには才能があった。弓の、つまり弓矢で戦うことへの才能が。
 親も兄弟もいない小娘が、ひとりぼっちで生き延びていくのに、それはとても幸運なことだった。あたしには存在価値があったのだ。戦士としての価値が。
 当時の社会情勢も、あたしに味方した。
 魔物たちの突然の凶暴化と、爆発的な増殖――
 今でこそようやく落ち着いたけれど、当時の混乱はすさまじいものだった。国政はほぼ麻痺状態に陥り、治安は最悪のレベルまで落ち込んだ。そんな中で、優秀な戦士は、いくらでも需要があったのだ。
 もっとも、そんな状況じゃなければ、あたしのように親の顔も知らない子供が大量に生み出されるということも、なかったのかもしれない。
 そう考えると、運命というのは皮肉なものだと、つくづく思う。
 あたしが入ったギルドは、ある市街区の自警団めいた活動をしていた。治安の維持と、侵入してきた魔物どもの撃退が、そのギルドの主要な活動内容だった。
 あたしは何かに取り憑かれたみたいに、無我夢中で戦い続けた。
 戦うこと。
 戦って、己の強さを証明すること。
 それが、それだけが、あたしの存在理由だったから。
 強くならなければ、生き残れなかった。
 強くなければ、生き残る価値がなかった。
 熱に浮かされたような日々だった。
 多い時には、一日で数百の魔物を射殺したこともある。
 途中で矢が足りなくなって、足元に転がる屍体に刺さっていた矢を引き抜いて、もう一度射った。その時に浴びた返り血の粘つく生温かさを、今も覚えている。
 ふと気がついた頃には、ギルドの中で、あたしは欠かすことのできない戦力となっていた。
 ううん、ギルドの中だけじゃない。
 もはや、そこら一帯で、スナイパーのセシルという名を知らない者はいなかった。
 誰もが、あたしの力を認め、あたしに一目置く。
 あたしは、誰よりも強くなった。
 その強さで自分の居場所を手に入れ、そして、その代償として、女としてのあたしを捨てたのだ。
 そのことに、悔いはない。
 その生き方を選んだのは、あたし自身なんだから。
 でも――
 どうして、こんなにも、胸が苦しくなるんだろう。
 気が付くと、マーガレッタの手のひらが、あたしの頬をそっと撫でていた。
 柔らかな、心地よい感触。
 ぽつり、ぽつりと、雫が床に落ちる。
 いつの間にか、泣いていたらしい。
「セシルちゃんは、可愛いですわ」
 微笑みながら、マガレが言う。
 いつもなら、なんてことのない一言のはずなのに。
 その言葉は、まるで魔法みたいに、あたし中にぽっと温かなものを灯した。
 あたしは、ぐい、と目尻を拭って、顔をあげた。
「……ほんとに?」
「ええ。セシルちゃんほど可愛い女の子はいないですわ」
「ふ、ふん。あんたに言われても、ねえ。でもまあ――」
 ありがとう、とは言えなかった。
 ふわり、といい匂いがして、次の瞬間、柔らかな感触が唇に触れた。
 マーガレッタの唇が、あたしの唇をふさいでいた。
「んっ……!」
 一瞬びっくりしたけれど、嫌な気はしなかった。
 あたしは目を閉じ、ふっと肩の力を抜いた。
 オーケーのサインのつもりだった。
「んふ……ちゅっ……ちゅ……」
 それは、マーガレッタにも伝わったらしい。
 マーガレッタは、甘噛みするように何度もあたしの唇をついばんだ。
 お互いの吐息が顔をくすぐる。
 触れ合う唇の、心地よい温度。
 頬を撫でていた手のひらがすっと首筋の後ろに回され、あたしはぎゅっとマーガレッタに抱き寄せられた。
 唇をそっと割り広げ、マーガレッタの舌先が滑り込んできた。
「んむぅ……は……ぁ、ちゅっ……んく」
 マーガレッタの舌は、唇以上に柔らかかった。
 その舌が、あたしの口内を、撫でるように舐めまわしていく。
「んはっ……ぁ、れる……れるぅ、んんっ……」
「んんむ……ちゅぱっ、ちゅく……んんふ……ぅ」
 あたしも舌を伸ばした。お互いの舌先が触れ合い、唾液が混ざり合う。ふと、今って、マーガレッタがあたしの舌を舐めてるのかな、それともあたしがマーガレッタの舌を舐めてるのかな、なんてことが頭の片隅に浮かんだ。
 その思いも、キスの味に溶けていく。
「ちゅくっ……んぅ……む、はぁ……」
「ちゅぷ……くちゅるっ、ちゅ……」
 ぴちゃぴちゃと、互いの唾液を啜りあう。不思議なもので、普段なら汚らしいと思うはずのそれが、今はかけがえのない愛しいものに感じられた。
 触れ合う唇と、絡み合う舌。
 体じゅうの感覚が、全部そこに集まったみたいで、全身がとろけていく。
 あたしの体を抱きとめているマーガレッタの腕がなかったら、本当にその場にくずおれてしまいそうだった。
 そうやって、どれだけ互いの唇を貪っただろう。
「ぷは……ぁ」
「んっ……ふぁ……」
 ようやく、あたしたちは顔を離した。
 濡れた唇に触れる空気が、やけにひんやりと感じられた。
 すぐ近く、互いの息がかかりそうなほどの距離で、あたしはマーガレッタと見つめあった。
 改めて見るマーガレッタは本当に美人で、まるでお人形さんのようなその容姿に、同性ながら見惚れてしまう。
 すべすべの白い肌。
 吸い込まれそうな、コバルトブルーの瞳。
 ゆるくウェーブのかかった、ブロンドの髪。
 スタイルだって、身長こそあたしの方が上だけど、他は全部マーガレッタのほうに軍配があがる。
 ああ、ほんとに、あたしもこんな風だったらなあ。
 そんなことを思っていると、ふいに、
「ふふ」
 と、マーガレッタが笑った。
 その笑顔があんまりにも魅力的だったものだから、あたしは思わずどきりとしてしまった。
「セシルちゃん、私の顔に何かついてますか?」
「あ、ううん、別に」
 あたしは慌てて首を振った。もし、今の胸の高鳴りを聞かれていたらどうしよう、と心の中で冷や汗が流れる。
「そ、それよりもさ。その、ありがとね。お陰で落ち着いたわ」
「いえいえ。こちらこそ、ご馳走さまでした」
 と、マーガレッタはにっこり微笑み、
「――でも、珍しいですわね。セシルちゃんの方から甘えて来るなんて」
「うぐ。まぁ、確かに」
 珍しい、か。
 言われてみれば、実際、あたしらしくもない。
 うじうじ悩むのもそうだし、その中身にしたって、女の子らしさがどうだとか、普段のあたしなら考えもしないことだ。
 はて。
 そもそも、あたしはどうして落ち込んでたんだっけ?
 うーん、と少し考えて、
「あーっ!」
 と、あたしは思わず声をあげた。
「……セシルちゃん、人の耳元で叫ぶのはよろしくないですわ」
「あ、ごめん。それよりも、思い出したわ。あいつよ、あいつ。エレメスの奴」
「はて、ガイルさんがどうかなさいましたか?」
「さっきハワードのとこに行ったらさ、そこにあいつもいたの。んで、あいつ、あたしが頼んでおいた武具を受け取るの見て、相変わらず色気のないものにしか興味ないのな、なんて言いやがるのよ」
「はあ……、それは」
「ううん、それだけじゃないわ! あいつ他にも『ま、セシルはスナイパーになるために生まれてきたようなもんだからな。ほれ、特にその胸とか』なんて、ふざけたこと言いやがって。ひっどいと思わない?」
 言いながら、あたしの中に、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。
「あーもう、思い出したらムカついてきた! まったく、あいつ、今度会ったら蜂の巣にしてやるわ」
「――――」
 マーガレッタの返事はなかった。
 そこで、ふとあたしは、マーガレッタの様子がおかしいことに気がついた。
 マーガレッタは、きょとん、とした顔で、あたしの方を見つめていた。
 口元は、半開きのまま固まっている。
 驚いているようにも見えるし、呆れているようにも見える。
「マガレ?」
「――え?」
 はっと我に返ったように、マーガレッタが声を洩らした。
「どうしたの、いきなり魂抜けたみたいになっちゃって」
「ああ、いえ、すみません」
 と、マーガレッタが相好を崩す。
 優しく包み込むような、いつもの見慣れたマーガレッタの微笑み。
 ほっ、とあたしは胸を撫で下ろした。
「珍しいわね、カトリならともかく、あんたがボーッとしてるなんて。何か考えごとでもしてたの?」
「何でもありませんわ。それよりもセシルちゃん、今日は久しぶりに一緒に寝ませんこと?」
 うぐ。
 それって、あれですか。
 いわゆる『やらないか』ってことですか。
 あたしが思わず身構えると、マーガレッタはくすっと笑って、
「そんなに心配しなくても、深い意味はありませんわ」
「ホントに? まあ、それなら別にいいけど――」
「でも、セシルちゃんがその気なのでしたら、私はいつでもウェルカムですわ」
「……せっかくウェルカムしてもらってアレだけど、あたしがその気になることは未来永劫ないと思うわ」
 あら残念、とマガレがちょっと拗ねた顔を見せる。
 でもまあ、本当に下心はないみたいだった。
 あたしはマーガレッタからパジャマを借りて、それに着替えた。マーガレッタも、自分のパジャマを着る。
「はー、なんか疲れたわねえ」
 とベッドに寝転がったあたしのすぐ隣に、ぽふっとマーガレッタも横になる。
「……なんか、距離、近くない?」
「あら、これくらい普通ですわ」
 いやそれ、絶対違うから。
 なんかもう抱き枕レベルに密着してるし。
 けどまあ、これくらいは大目に見よう。
「マガレ、その……今日は、ありがとね。愚痴聞いてくれたり、慰めてくれたり」
「ふふっ。私は、セシルちゃんがすっきりしたのなら、それだけで充分ですわ」
 目を閉じたあたしの頭を、マーガレッタの手のひらが、そぅっと撫でた。
 なんだろう。
 ほっとする、この感じ。
 あたしはお母さんの温もりなんて知らないけれど、もしかしたら、それはきっと、こんな感じなのかもしれない。
 ふっと、聖母という言葉を思い出す。ああ、そういえばマガレって、聖職者だったっけ。およそ貞淑とはいえない普段の言動で、ついつい忘れちゃいそうになるけれど。
 あたしは半分眠りかけた頭の片隅で、そんなことを思った。
「大丈夫。セシルちゃんはとっても可愛いですわ。だから、いつかきっと、幸せになる日が来ます」
 あたしの髪の毛を、そっと指で梳きながら、マーガレッタが呟いた。
「ん……、ありがと」
「ふふっ。でも、ちょっと鈍いところが欠点ですわね」
「鈍い? あたしが?」
「ええ」
「んぅー、そうかなあ……」
「そうですわ。自分の気持ちになかなか気がつかないところとか」
「あたしの、気持ち?」
「ええ。例えば、セシルちゃんがさっきまで不貞腐れたり悩んだりしてた理由」
「だから、それは、エレメスの奴が……」
「ううん。それはきっと、相手がガイルさんだから、ですわ」
「はあ? どーいうことよ、それ」
 あたしは重くなった目蓋を持ち上げ、薄目でマーガレッタを見た。
 でも、マーガレッタはあたしの問いには答えず、ふふっと微笑んだだけだった。
「……もう。ワケ分かんない」 
 と、あたしは再び目を閉じた。
「気づいてないのは、自分の気持ちだけではないのですけどね」
「んむ、何か言った?」
「いえ、なんにも」
「そう……むにゃむにゃ」
 眠りに落ちるところで、何か柔らかなものが、ちゅっとあたしの額に触れたような気がした。



 おわり。